衣装デザイナー 吉田健太郎の「らしく」な衣装
衣装デザイナー 吉田健太郎 (よしだけんたろう)
1977年生。桑沢デザイン研究所・ドレスデザイン科卒。アパレルメ-カーのアシスタントデザイナー等を経て、現在は「yu-GEN CRaFTS」主宰。オリジナルウェア-・舞台衣装・その他衣装製作に携わる。「らしく」には1号から参加。 http://www.h7.dion.ne.jp/~ps-c/身長181cm。スニーカー好き。自転車好き。そしてミシン好き。
玄関開けるとずらっと並ぶスニーカーたち。部屋の中に転がっている自転車の車輪。そして、その奥には完成間近の真っ赤な衣装。3台のミシンが鎮座している、世田谷のワンルーム。
身長181cmの衣装デザイナーは、もともと奈良の剣道少年だった。
「365日のうち360日は竹刀を振っていた」高校時代、自分でしょっちゅう防具を直しているうちに芽生えてきた「裁縫って楽しい」という気持ち。幼いころからものを作ることが好きだった流れで、高校卒業後は東京の桑沢デザイン研究所・ドレスデザイン科へ入学。そのころには迷わず「服飾をやりたい」という明確な思いを抱いて。
「東京でしょ ひとり暮らしでしょ 親の干渉もないし!」と遊びまくった桑沢時代。
卒業後は、狭き門を突破してアパレルメーカーでアシスタントデザイナーに。その後、職種を変えながらも4年弱、走り抜けた毎日。「あのころまでは人生うまく流れていたけど。25ぐらいのときが転換期かも。プレタをやっていたときは思いもよらなかったけれど」一見順調に思えたけれど、実際には雑多な業務に見舞われた毎日。会社員生活をいったんクローズして、さてどうしよう…というときに、人づてに小劇団の舞台衣装の依頼が舞い込んでくる。
「芝居を底上げする」という存在に徹したい。
撮影・eugene odaira
演出家の意図を映し、役者が着る舞台衣装。話を聞いているうちに、「衣装=クリエイティブ」という単純な線引きではないことが見えてきた。
「演出家って、いわゆるアーティスト。衣装はデザインだから、演出家がどういう思いやクリエイションを持っているのかを汲み取ってかたちにしないと全体が強いものにはならない。もちろん、自分のベストを舞台に乗せたいという思いがあるけど、演出あってのデザインだからある程度の"わかりやすさ"も必要だし。衣装はそれだけで完結しているようで、でもそこに役者さんがいて、照明が当たって、舞台の上でどんどん見え方も変化する。こうやって部屋で出来上がったものを見ているのとは全然違うものが生まれてくるんですよね。芝居に溶け込んで初めて、衣装は"完成"するもの」
だから、「照明さんや音響さんにはいつも感謝、感謝です」と、決して前に出ようとはしない姿勢。
「謙虚?…そういうポジションですから。お客さんには芝居を観に来たら、やっぱり芝居を"よかった"って思ってほしいし(衣装は)存在を消して、ズレないように、じゃませず、芝居を底上げする存在でありたい」
でも、吉田くんの衣装があって舞台がより映えるのは確か。それは、過去の舞台の作品集や「らしく」の衣装を見るだけでも、いっしょにつくる仲間の「思いの汲み取り」と、「吉田くんらしさ」がかたちになっているから。
「吉田くんらしさ」、それは日本人の美意識への敬い、というもの。
わびさび、もののあはれ、幽玄さ。
実は吉田くんのお母さんは、草木染めして着物を織っていたという。幼いころから、当たり前に着物を見て育った。
「着物ってとてもフレキシブル。体型に合わせて身幅を変えられるし、丈の上げ下げも簡単にできる。バッグは"ものが入ればいい"。でも、例えばふろしきはいろんなかたちに変えられる。結び目もきれいに見せられる。それはふろしきの中身を送る相手への気持ちを込めているからこそ。日本独特の文化的な発想力は、すごいと思う。ただ、今の自分たちはそれを忘れてしまっているところもあると思うから」
自分の「屋号」として掲げている「yu-GEN CRaFTS」の「幽玄」も、日本人の美意識の素晴らしさを表現したいからとのこと。「日本文化への敬い」の、自分なりの解釈。それが吉田くん自身の中でゆるぎない表現の価値観。吉田くんの衣装から伝わるものは、確かに「きれい」とか「かわいい」だけじゃない、でしょう?
撮影・tanaka nagare |






















